ハラスメント対策セミナーを開催します

職場のパワーハラスメント問題は今企業にとっては、大きな問題となっています。

パワーハラスメントは、被害者の働く環境を阻害するだけでなく、心身の不調を引き起こし、ときには自殺にまで追い込むこともある人権を侵害する行為です。パワハラの被害者の中には、その体験が何年たっても心に残り、ふとした瞬間に思い出すPTSDとして長年にわたって苦しむ人もいます。

今では、被害者の人権を侵害するだけでなく、同じ職場で働く他の従業員の職場にスピルオーバーし環境を悪化させ、企業の生産性を損なうものとして認識されるようになりました。

企業の経営者は、今、我が社で働く従業員の心身の健康を守るためにも、さらに、企業としての生産性を維持・向上させるためにも取り組むべき喫緊の課題です。

これは、企業の大小に関わらす起こる可能性のある重要な課題です。

今回のセミナーでは、2022年4月1日から中小企業に対する義務となる「職場のハラスメント防止義務」についての法律の内容と「実際に職場で対応する際のポイント」について、さらに、「ハラスメントが生じやすい職場環境を改善するための方策」をお示しできればと考えております。

開催日は、2月4日、18日 3月4日のいずれも金曜日の3日間予定しております。ご都合のいい日にご参加いただければ幸いです。
新型コロナ感染症の拡大により全日程中止となりました。代替日につきましては当ホームページにてお知らせいたします。

お申込は本HP「お知らせ」の「職場のハラスメント実務対策セミナー」のご案内からどうぞ。

yoshinaga

職場における人の問題を考える②

職場でカウンセラーとして働く人の悩みを聞いてみると、一見仕事における心配や不安のような話題も、突き詰めると上司~部下間の意思疎通の不足だったり、同僚間の連携協力の不味さなどが基本的課題と判明することが少なくない。

結局、さまざまな職場の問題の背景には、人間関係におけるコミュニケーション不全の問題が根底にあると気づかされることが、しばしばである。

近年、業務における効率性、生産性が重視され、数値で示される結果至上主義があらゆる職場に浸透、働く場における人の存在は道具化、歯車化して、仕事に関係ない会話や相互交流は無駄で価値ないものと徹底排除されがちで、そうした人間関係の希薄化はコロナ禍で一層進んでいる。

「あなたの職場の人間関係は良いですか?」と尋ねると「普通です」と答える人が多い。多分「とても良いですよ」と言い切れるほどではなく、可もなく不可でもない、問題は起きていない、という消極的な評価レベルに止まる職場が圧倒的に多いようだ。

管理者や上司は、何事も「問題ない」という状況を喜び、「それで良し」と安心しがちだが、こと人間関係において、そうした表層的、消極的な相互関係の在り方は、危機的な緊急事態や突発的な対応事態などに対して、全くもって適応力や課題突破力を発揮できず、混乱状態に陥りやすい。

役割や分担任務に規定された効率的ビジネスコミュニケーションは、常態の慣例的・定例的な業務展開の中では有効であり、「問題なし」でOKであろう。ところが、常態でない異常事態、非常事態では、役割や分担任務を超えた、臨機応変の応用力や連携協力が求められる。

そうした、通常とは異なる連携協力の基盤になるのが、機械的な役割関係を超えた、人間的な相互理解や相互信頼であり、そうした関係を醸成・促進するのが、実は日頃の雑談や冗談など、仕事と関係ない無駄話なのである。

日々の業務に追われる状況下、お互いにホッとできる気さくな一言や声掛けは、ユニークな個性や人柄を伝え合う貴重な機会であり、相互の関係性を深める大切な瞬間でもある。

職場の人間関係が「普通です」と消極的評価に止まる場合、実のところスタッフ間の精神的な繋がりは浅くて、危機事態での連携協力など満足にできず、職場は容易に混乱しやすいと用心すべきだろう。

morikawa

ハラスメントとその防止について

仕事柄、セクシャルハラスメントやパワーハラスメントの相談や研修の依頼を受けることやがあります。

ハラスメントの語源は、英語の「harass」だそうです。
「harass」は「(嫌がらせなどで)困らせる、悩ませる」ということです。

ある行為によって、その行為の相手方を困らせたり、悩ませたりさせたりすることです。
その言動が激しく、繰り返され長期間に及んだり、人前で行われたりすると、受けた人は心や体に大きな傷を受けてしまいます。

 その影響でPTSDとなって、長年にわたって人を苦しめ続けることがあるとの研究も発表されています。
ハラスメントの行為者は大抵の場合、自分がハラスメントをしていることに気づいていません。
人が意図的にハラスメント行うのではなく、行為者は無自覚なまま、ハラスメントが行われ続けるのです。

一つのハラスメント行為の被害者は一人だけではありません。その影響は集団のなかに溢れでて、その集団そのものの活力を低下させ、萎縮させることもあります。

ハラスメント対策の難しさはそんなところにあります。

研修ではどういう行為がハラスメントにあたり、その行為で被害者に多大な影響があること、生産性が落ちてしまうことやその影響で人が辞めていく等の理解を求め、相談窓口の設置等の対策を勧めます。

しかしながら、それらの限られた範囲の対策ではハラスメントをなくことはできません。
ハラスメントをなくしていくには、組織全体で、その組織の成果は「良好な人間関係」あるいは「適切な組織マネジメント」「不断の人材育成」の結果であるという概念捉えなおすことが必要だと私たちは考えます。

ある個人に自覚を促すことではハラスメントを防ぐことはできません。

ハラスメントを防止するには、その集団(職場、学校、サークル)全体で取り組むことが重要です。
ハラスメント起こす人、ハラスメントの対象となる人、被害者の周りの人々、そして、その集団全体のマネジメントの仕方等さまざまな角度、視点からなぜその被害が生じたのかを明らかにする必要があります。
ハラスメントの原因は一つではありません

yoshinaga

職場における人の問題を考える①

現代社会の営みは、今のところ人があって成り立っている。
「今のところ」というのは、昨今のAIテクノロジーやロボット技術が進化すると、未来社会は今のような多くの人が働かなくても、少数の人だけで社会が運営されるようになり、現在のような「仕事」とか「職場」という概念が消失するやもしれません。
それが人間が追及する「幸福」につながるのか否かは不明ですが・・・今のところは、大いに面倒でやっかいな側面もある人間関係を抜きにして「仕事」を完結させることは困難のようです。

さて、避けたくても避けられない人と人の関係、皆さんはどう上手に対処しているでしょうか?

やはり、難しいのは、十人十色というように、同じ状況で同じことをやっても、能力、才能、性格、育ち、年齢、性別、価値観、土地柄、等々の個人差や違いで、全く、時には180度異なる反応や行動、考え方が表現される、ということ。
事実はそうですが、問題は、ほとんどの人が自己基準でものを見ていて、自分と違う考えや行動を理解できないし、受け入れられず、怒りや反発、嫌悪感や否定的な感情に陥りやすい、ということ。

こうしたことは、職場に限らず、家族やプライベートな人間関係も含めて、常に起きていることで、人が一緒に生活することの本質的難しさですが、仕事という、一つの目標・目的のために役割分担して連携協力する場面で、期待される成果やパフォーマンスが得られないという「個人差」の問題は、リーダや管理職など部下を持つ人にとって、最大の悩みであり課題です。

さらに、業務遂行だけでなく、健康問題や人間関係のトラブル(メンタルヘルス不調やハラスメント問題)などが職場で発生すると、上司の部下対応はさらに難しく、通常の管理能力(マネジメント力)以上のものが要求され、途方にくれることも多い。

以上のような人の問題、職場における人的マネジメントへの対処に関しては、種々の著作物もありますが定式化された対応モデルや方法論が明確に提唱されている訳でもありません。十人十色の人間の問題や課題に対応するには経験知を蓄積するしかない面もありますが、できるだけ多様な事例を通じて自らの立場と役割に必要な勘所(ポイント)を予め把握しておくことも大事でしょう。

このブログでは、そうした実践的な経験知やノウハウを少しづつ紹介していきたいと思います。

morikawa

コロナから2年経って実感すること~予測ではない、実感として残っていること

新型コロナ感染拡大の影響は人の心や生活に様々な影響を与え続けてきましたが、約2年経った今、人の心に定着しつつある変化について考えてみようと思います。

2021年11月15日のコロナの感染者数が減少の一途を辿り、全国で79人、東京が7人、感染確認ができなかった県が29県となっています。
コロナの対策本部では、第6波への備えと経済の回復の2匹のウサギを追いかけられる指標づくり等の対策に追われています。

コロナの影響は、働き方の変化、人間関係の変化、家族関係の変化等様々な形で人の生活の中に深く浸透してきました。
以前から言われてきたことですが、コロナの影響で生じた変化は一過性のものではなく、その後も定着していくようです。感染者見つかってから約2年経った今、それが実感できるようになってきました。

気分的には、晴れ晴れとした解放感は自ら求めていかなければ得られないし、移動の制限は、人の購買意欲を制限しています。景気の側面と人の心の側面が互いに影響を及ぼし合っていることをコロナの体験によって多くの人が実感した点です。
その実感は、人が置かれている状況によって格差があることも鮮明にわかってきました。格差の可視化が進んだように思われます。

このブログでは、一つのテーマとして、これから先、定着していきそうな変化を見つめていこうと思います。その変化が人の心と日常生活と職業生活にどのような影響を与えていくのでしょうか?
そのあたりを書き連ねていこうと思います。

yoshinaga